信念を通す人は、格好良くみえてしまう。

ありがとうございます。
アクリエティブ 熊谷です。

今日の帯広は曇り空で涼しく、すごしやすい気温です。
ウォーキング&ジョギング時は
太陽が一時的に照っていて汗ばみましたが…。

グリーンパークと空
この感じは十勝だなと思いますねっ

公園へ行く途中ですが
なかなか刺激的なおじさまを観ました。

私が車で交差点を左折しようとしている、まさにその時!

対向車線側を『自転車』が車道上を左折していったのですが、その姿を観ているとなんとも格好良く映ってしまったのです。

なぜ!格好良く映ったか…

そのおじさまは、曲がる前に指先確認のような仕草と
自動車学校の座学でも習う、手による方向指示(手信号)をしているようにみえたのですが

曲がる前に反対方向を指差し
その後「曲がるぞっ!」という意思を示し、
さらにその後も手を使って色々と表現している

もう、そこまでやりきる姿
『あそこまで自信持ってやるのは、格好良い』と思ってしまったのです。

自分の信念というか意思を通し
自転車で方向確認と手信号と思われる仕草をして
車道を颯爽を走り曲がっていく姿

周りからは変な人と思われる人もいるかもしれませんが
『人と違う事をしても自分の信念』を通すということは
どこか格好良く見えてくる。

私の心の指針としている言葉の中に一つに

中国の莊子によ言葉
『沢雉十歩一啄、百歩一飲、不期畜乎樊中、神雖王不善也』
があります。

ーーーーー

沢雉(タクチ)は十歩に一啄(イッタク)し、百歩に一飮(イチイン)するも、
  樊中(ハンチュウ)に畜わるるを期(モト)めず
    神(シン)は王(サカン)なりと雖(イエ)も善(タノ)しからざればなり

   ↓

沢辺の雉(キジ)は、十歩歩いて僅かな餌をとり、百歩歩いて僅かの水にありつけるが
それでも籠(カゴ)の中で飼われることを求めない。
籠の中は餌に困ることはないが、
(自由に飛び回る楽しみが味わえないと)心が楽しくないからだ。

ーーーーー

人と同じようにしていることは安心かもしれない。
しかし自分の心に素直に聞いた時に本当に楽しいかを問うてみる。

沢の雉の十歩で僅かな餌や百歩で僅かな水を得るように

楽ではない事になるかもしれない。辛いこともあるかもしれない。

しかしそれは自分が本当にしたいことへの通過点。

沢の雉のように命に必要なもの得るという所までもいかなくても

日常の好きなことをする、ゴールや目標する
その過程にある努力は努力とは思わず

その努力は『したくてしょうがない』になるのだと思います。

あなたも好きなことをしている時は
「努力してる!」と思わないはずですよね。
『努力』と感じる時はやりたくないことをしている時だとも言われています。

良く例えで出ますが、大リーグのイチロー選手などは野球が好きで好きでしょうがないから
練習もしたくてしょうがないになっているのだと思います。

日本ハムの大谷選手やフィギュアスケートの羽生選手も試合後のインタビューで
すぐに練習をしたいという返答をしていたことを
観たことがあります。

好きなこと、信念を通してやっているの人は格好いい。
結果がでれば最高、というより
好きだから出るところまでやってしまう。

自分の心が求める楽しさ
自分の本当にやりたい事や信じることをする勇気。
それらをしている人は輝いてみえたりする。
格好良いと映ってくる。

自分の好きを自分に問うてみる。そして少しでも良いから行動してみる。
これをやはり日々意識することは大切と改めて思いました。

お読み頂いて
ありがとうございます。

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